青年海外協力隊で苦しんだ2年〜大きかった理想と現実のギャップ、でも「また行きたい」
「いつか海外で国際協力がしたい。」
高校生のときから抱いていた思いを、社会人になってから叶えたのは、16期生の水口夏希さん。
仕事を辞めてまで飛び込んだマラウイでの生活は、ギャップの連続。
最貧困層と呼ばれる地域で過ごした2年間で、国際協力の理想と現実の差に悩み、そこから学びを得たという。
その気づきを水口さんにレポートしてもらった。
今回は後編です!
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「鬱の半年」を乗り越えるため

ブランタイヤの中心部の様子
アフリカの国というと、発展途上で荒れた大地の上に家を建てて暮らしている、のようなイメージがあるかもしれません。
確かに地方に行くとそんな感じですが、首都は日本の都市部と変わりません。
外資系のスーパーがあり、カフェがあり、コンビニがある。道路も舗装されて車も行き交っています。
私がマラウイ入りした最初の1か月は、そんな首都で研修です。
ワクワクしてて、キラキラしてて、楽しいが凝縮されたような時間。
そこから任地に旅立ちますが、、、
そんな楽しい時間はここまででした。。。。。
私の任地は首都から300キロほど離れたブランタイヤという地域です。
私の場合は、そこのコミュニティ開発事務所に所属するんですが、実はそこから半年ぐらいがほんとにやることがありませんでした。
マラウイの協力隊は歴史も長くて、人数も多い。私が着任したときに歓迎会を開いてくれて、先輩たちがみんな言うんです。
「最初の半年が本当に鬱だよ。もう本当にやばいよ」
先輩たちから言われても「そんなことはないでしょ」と楽観していましたが、
できるならそんな気持ちでいた当時の私を殴ってやりたい。
先輩たちが言ったとおり、
ここからの半年間はやばかったです。
私の活動というのは、
“現地の人たちと一緒に生活向上のためのプロジェクトを進めること”
にあります。
まずは人間関係を築いていくところから始めるため、地域内のいろんな村単位で行われている集まりに参加することからスタートしました。
私のことを覚えてもらうためにマラウイの言語のチェワ語で会話をしようとしますが、赴任当初の首都での研修程度ではやっぱり現地で通じない。
隣に座った人に「今日天気いいね」とか「何食べた?」とか辞書を片手に会話をしてみようとするんですが、まぁうまくはいきませんよね。
それに相手からしてみれば初めて見るような外国人ですから関係性を作るのも大変です。

村のミーティングに参加して交流
実際に何度も足を運んでいるうちに顔を覚えてもらえて、だんだん心を開いてくれていると感じられるんですが、まだまだお客様扱いされている感じもする。着任当初に立てていた計画はまったく進められないし、その前段階にもたどり着けていない。本当に、何もできなかったんですよ。
そういう段階になって、ようやく“あること”に気づくんです。
私達は一応、協力要請があって派遣されるんですが、
実際行ってみたら別に「これをしてほしい!」っていう具体的なものはないんですね。
そんなに必要とされているわけじゃっていうのを感じるようになって、「これは自分がしたいミッションじゃない」ってギャップに悩んでしまう。
そこで日本に帰ってしまう隊員もいるんですが、
私は帰れない!
って思ってましたね。
あんなに送り出してくれた友人たちに合わせる顔がないって覚悟ができていたので。
なので、私は先輩たちが言っていた「鬱の半年間」をとにかく動き回ることにしました。
そうすれば目立つじゃないですか。
そうしているうちに協力してくれる人が現れるんじゃないかと思って。
パンを作って、かまどを作って、そして・・・

2年間過ごした自宅
ところが半年が過ぎても、どんどん焦りばかりが募ってきました。
毎日のようにいろんな村のミーティングに顔を出していても、それ以外の時間は特にやることがないんです。
事務所のメンバーもみんな忙しくて、事務所にいることもほとんどない。
仕方なく家にいると大家さんから「夏希はいつも家におるよね」って言われる。
そんなことが続くと、どんどん焦りだけが出てくるんですよね。
何かしなきゃと思って、
ミーティングに参加しているマラウイ人に「何かしたいことないの?」って聞いてみるんですけど、
なかなかすぐに実行、解決できるようなものは見当たりません。
というのも、
青年海外協力隊はお金を用意することはできないんです。
何かプロジェクトを実行しようとするときは、
現地の人達が資金を用意して、こちらはノウハウや知識、技術でサポートする。
マラウイはそもそも所得の低い国ですから、現地の人たちがそういったお金を用意することすら難しいんですよね。
しょうがないから、私自身が用意できる範囲の物で挑戦したのが「パン作り」でした。
現地のマーケットでは軽食としてスコーンやビスケットが売られているんですが、そこにパンを出すことで差別化できるんじゃないかと考えたんです。
農村部に住む最貧困層の人たちにとって、小麦粉や砂糖は高級品でかんたんに買えるものではありません。
なので当然ながら
「差別化はできるかもしれないけど、自分たちには元手がないからちょっと無理かな」
っていう結論になります。
パン教室を開いてみたけど、結局はみんなで「おいしいね」って食べただけで終わってしまいました。
そんなことをしているうちに、最初の1年目の終わりが近づいてきました。
成果らしい成果が出せてなくて、焦りしかありません。だって、あと1年しかないんですから。2年目に突入するタイミングでいろいろ調べてみると、現地の人たちは現金収入がほとんどなくて、現金が必要なときは誰かから借りて補うという生活でした。
そのような状況の中でビジネスを主体としたプロジェクトは無理があるなと感じたので、生活に密着した部分に着目することにしました。
マラウイは都市部でもガスがほとんど通ってなくて、ほとんどが電気クッカーでの調理。
その電気も最貧困層の人たちには手が届かないものなのです。
普段の調理は共用の井戸から水をくんできて、そのへんの木を燃やして調理するみたいな感じ。
かまどがあるわけじゃなく、石を並べた上に鍋を置くので、熱効率がとても悪い。その上、煙が充満するので目も悪くなる。
それを解決するのが
「改良かまど」
です。
この改良かまどは、土を水でこねて固めて作るので比較的簡単ですし、熱効率も煙の心配もなくなる。
現地には以前から改良かまどを普及しようしている団体があって、そこで研修を受けた団体メンバーに協力してもらってプロジェクトを進めることにしました。
興味がある人達を集めて、団体のメンバーに先生役をお願いして教えてもらいました。
やはり同じマラウイ人同士なので、教える方も教えられる方も熱心。
私が開いたパン教室とは大違いです。
何人かは
「私も作ったよ」
って報告してくれましたね。
ただ、2年目に入って少しずついい感じになってきた手応えはありました。
なので私は思い切って
「現地業務費制度」
に挑戦することを決めました。
これは隊員のプロジェクトに対して予算が降りる制度なんですが、いろいろと条件が難しい。
でも、2年目の自分にはいろんなつながりもできてきたので、やれるという自信があったんです。
「私は勘違いをしていた」
現地業務費制度を受けるには、一緒にプロジェクトに挑戦する現地のグループが必要です。
これまでいろいろなグループに顔を出していたので、それぞれのグループのまとまりやリーダーシップの具合もつかめてきています。
「このグループだったら頑張れるかな」と目星をつけたグループのリーダーに「何かやりたいことないの?」って聞いてみました。
そこで帰ってきた答えが
「養 鶏」
だったんです。
養鶏はマラウイではメジャーな産業で多くのグループが意欲を示していたのですが、失敗も多く難しい。
隣の村で成功したグループがいるという話を聞いていたこのグループは、私の提案に乗ってくれました。
やっぱりお金が下りるってなったら協力的になるんですよね。

養鶏に取り組んだメンバーたち
そこからは、いろんなところから見積もりを取り寄せて、計画を作って行きます。
鶏舎の建築に、最初に入れるひよこ代、成長するまでのエサ代などなど。
たくさん準備をしてようやく現地業務費の支給が決定されました。
(それがちょうど私の誕生日。2つの意味でうれしかったですね。)
現地業務費は日本円にして10万円程度で、鶏舎の建築費用と餌やワクチン代など養鶏1サイクル分ちょうどしかありません。
養鶏を軌道に乗せるにはこの1サイクルが大事になってきます。
私自身に養鶏の経験はありませんしわからないことばっかりですが、鶏舎に入れたひよこ約120羽の世話は、グループのメンバーが頑張ってくれたので助かりました。

鶏舎が完成しようやくひよこを迎え入れることができた
少しずつ成長していき、ようやく出荷できる段階になりましたが今度は売り先に問題アリ。
都市部のレストランやホテルに売り込みに行きましたが、すでに仕入れルートが固まっているので色良い返事はありません。
そもそも、農村部に住むマラウイの人たちにとって鶏肉は高級品で祝い事など特別な場面でしか鶏肉を食べないので、毎日売れるわけでもない。
チラシを手作りして、いろんなところを回りましたね。
壁にぶち当たっては乗り越えての繰り返しでしたが、メンバーのみんなにとってはプラスになっていました。
このプロジェクトを始める前は、もう自分が出来ることはないと思ってたメンバーが、お金を稼ぐことに挑戦している。
本人たちは自信がつくし、嬉しいですよね。
「やっぱり自分がやればできるんだ」
って感じてもらえたことは、よかったなって思います。

メンバーと手作りした鶏舎は宝物
私自身もこの養鶏をやったことで、勘違いをしていたことに気づきました。
これまで私が活動してきたパン作りや改良かまどづくりは
「私がしたいこと」
だったんです。
でも、大事なのは「グループに希望に沿った活動」なんですね。
つまり
「相手がしたいこと」
やっぱり押しつけられたものって続かないですよね。
さらに私は外国人ですし。任期の最後の半年ぐらいで、この出発点の違いが大きな気づきと変化でした。
私の任期も終わってしまって、せっかく始めた養鶏も中途半端な感じで帰ることになってしまいました。
せっかくサイクルが回り始めたんですが、やっぱりサポートが入らなくなると止まってしまう。
事務所の人に「ちゃんとやってるか見ててね!」ってお願いはしてきましたけど、どうなっているでしょうね。
ちょっと心配だなー。
やっぱり海外の魅力は変わらない

マラウイでも子どもたちは元気いっぱい
任期を終えた後、実はそのまま国際協力の道に進むという選択肢もあったんです。
大学の時に参加したNGOがマラウイに事務所を置いていて、それがすぐ近くだった。
任期中に何度か活動にも参加させてもらいましたし、そこのスタッフにも誘われたんですが、結局は日本に帰ることにしました。
それは、
国際協力についてゆっくり考える時間が欲しかったから。
私が活動した地域は最貧困層って呼ばれるエリア。
中には、学校に行けなかったり、怪我をしても病院に行けない子どもたちもいる。
それでも、みんなで楽しいし、幸せなんです。
私がコミュニティに入って収入向上のために活動したんですが、現地の人たちは別に上を目指してないっていうか、それ以上を求めてないなって感じる瞬間があるんです。
それは、
こっちが思ってる幸せを押し付けているだけなんじゃないかと。
私たちは恵まれた世界を知ってるから、クーラーや暖房が効かない部屋や冷たい水が出ない環境を不便って思うけど、マラウイの人たちはそれはそれで楽しくやってる。みんな仲良しで、子供も集まって遊んで、幸せそうなんです。
決して青年海外協力隊のような国際協力の活動を否定するわけじゃありません。
そういったことに気づかせてくれたことにとても感謝してます。
だからこそ、
任期中の2年間をざっくり総括すると「楽しかった」し「いろいろ勉強になった」。
自分がどうしたいのか、何がしたいのかもはっきりするかなと思えた。
だから、日本に帰って働くのがいいかなって思うようになったんです。

豊かな自然が広がるマラウイ
アフリカって遠いイメージだったり、治安が悪いイメージあるから行きにくいと思うんですが、一度行ってみてほしい。
今ではアフリカでも治安がいい国もある。
特に大学生は少しでも行きたい気持ちがあるんだったら、一度行ってみるといいと思います。
私も実際、休学して行ってますし、
行ってよかった
と自信を持って言えます。
それに大学生は「大学生」っていう魅力的なパスポートを持っているので、いろんな人に会いに行ってもいいと思う。
大学生だと、なんだかみんな優しくしてくれるでしょ。
それを存分に使っていいと思います。
私ももしかしたらもう一度海外に行く可能性もあるかなって思っています。
今はコロナがあるので当分は日本にいると思いますが、将来はどうしているかわからない。
今回の青年海外協力隊でいろんなことに気付かされたけど、やっぱり海外で働くことの魅力は変わらないし、今でもそれは忘れていない。
結婚して、子供もいて、それでもバリバリ国際協力の仕事をする。
実際にそういう人もいますし、そんなふうになれているといいかな。