〜「みんな集まる場所」を作った田中麗子さんの人柄〜
「もう一度会いたい」
卒業から20年以上経ってもそう言われる存在は、強烈な個性を放っていた同級生でもなく、人生の道標をくれた恩師でもない。
1993年の開校から売店で働いていた田中麗子さんだ。
麗子さんのいた売店はいつも学生が集まる不思議な空間となり、世間話から相談事まで何でも話していた。在籍していた8年間で麗子さんにお世話になった学生は多いのではないだろうか。2022年、久しぶりの再会を果たした1期生の萩原智子さんと富永雅世さんとの3人の集まりにちょっとお邪魔した。
ホームカミングデーがきっかけで
レジも操作したことなかったのに
笑顔の裏側に
2023年のホームカミングデーには
懐かしい記事でした。教員として初めて公立大に行ったとき、売店のお母さんの麗子さんが
初々しくお蔭で宮崎が大好きになりました。智子さんも雅世さんもよく覚えています。
わたしは3/14日88歳の米寿です。横浜で細々と生きています。玉木徹志3/5