<なな会だより>近況報告リレー “有村香澄さん”【中編】

有名女優と読みは同じでも漢字は違う有村香澄

同姓同名の本名で役者を続けてきた彼女は2022年度、所属する団体「みやざき演劇若手の会」の代表を卒業する。

宮崎公立大学で演劇の楽しさを自覚し、

「演劇は普段の生活にもつながっているし、生きていることにもつながっている」

と話す有村さんにとって、若手の会卒業は次へのスタートライン。卒業公演と位置づける2月の舞台へ向けて稽古を続ける有村さんに話を聞いた。

今回は第2回目♪※第1回目は下記からご覧いただけます。

<なな会だより>近況報告リレー “有村香澄さん”【前編】

先輩「有村、すげーな」

正直に言うと、宮崎公立大学に行きたかったかと聞かれれば、そうではなかった。高校から推薦枠の話をもらったことをきっかけに、オープンキャンパスに参加。
公費留学ができるって聞いて、「海外に行けるのはいいな」とぼんやりとキャンパスライフをイメージした。

「公立大を選んだのは5教科の中では英語が好きだったこと、成績的にも手が届きそうだったのもあったから。それで公立大に行くようになったんですけど、そこで演劇をガッツリするようになった。そのおかげで『今、楽しい』って思えてるんです」

そう振り返るのは、演劇部で出会った一人の先輩の存在が大きい。

2学年上のその先輩は、自分で脚本を書き、若草通りの文化ストリートで屋外公演も企画するほど演劇にエネルギッシュ。
学外の演劇関係者にも顔が広い。学内だけでの活動にとどまらずいろんな場所で舞台に立つ機会をくれた。

「先輩が『どんどんいろんな公演を見に行ったほうがいいよ』って言ってくれてからは、積極的に情報を仕入れるようになったし、舞台にも足を運ぶようになった。ぐずぐずしてしまう私の性格を先輩が後押ししてくれたんです」

演劇部のみんな

有村さんは先輩が企画した舞台にも出演。先輩との公演を経て、違う場所での演劇にも挑戦する気持ちが芽生えてきた。
有村さんが2年生になった5月には県立芸術劇場が主催したリーディング(役者が脚本などを持って朗読するスタイルの演劇)のオーディションを紹介。

有村さんはそこで初めて、宮崎で演劇活動をする人たちと出会った。

「結局、そのオーディションは落ちたし、その会場にいた人たちに当時のことを聞いても誰も私のことを覚えていないぐらいだったんです。でも、オーディションを1回受けてしまうと、『また次も行ってみようかな』って思えるようになったんです」

その後も先輩から教えてもらったワークショップなどに参加を続けていたある日、一本の連絡が届いた。

「有村さんに、みやざき演劇若手の会の企画に出演してほしいんだ」

当時、若手の会は発足したばかりで、初回公演に向けて準備を進めている最中。その公演にまだ学生だった有村さんを誘ったのだった。

演劇部のみんな

オーディション会場で一緒になったとはいえ、仲良くなったわけでもなければ、そのときは連絡先を交換したわけでもない。突然の連絡に驚きつつも、先輩にそのことを話すと「すげーな」と喜んでくれた。

先輩、私もしたいです

知らない人と演劇をする不安もあったが、思い切って飛び込んだ。作品は有村さん含め3人が出演する短編。社会人の中に入っての稽古は、当然部活とは違った。

「いろいろと指摘を受けるけど、全然ついていけないんです。このときは恥ずかしさが勝ってしまって、感情もうまく出せない。体の動き一つにしてもできないことが多すぎて、それがひたすら苦しかった」

約2ヶ月、必死に稽古を重ねた。そのおかげで、舞台の反響は上々。

終演後に観劇にきていた先輩が

「良かったよ」

と嬉しそうに声をかけてくれた。体や気持ちは「やっと終わった」と開放感で喜んでいた中、先輩からの一言は素直に嬉しかった。この公演がきっかけで、学外の演劇関係者とのつながりもできた。他団体から声をかけられて企画に参加するようにもなってきた。

それからしばらく経ってからだった。先輩と2人で食事をしているとき、舞台の話になると先輩がふと口をこぼした。

「あの舞台、良かったけど、私が有村の良さを出し切れていないのが悔しい」

有村さんにとっては思ってもない一言。

その言葉に「私も先輩と舞台をやりたい」と応えた。

こうして先輩の卒業前に公演が実現した。舞台の内容も、先輩との別れを物語るように主人公から次々と人が離れていってしまうもの。

本番の最後のシーン、

舞台上で一人になった有村さんは泣きながらセリフを叫んでいた。

先輩との失業公演

「あのシーンは役だけじゃなくて、先輩に対する気持ちもきっと入っていたんですけど、このとき『演技の中で気持ちを出す』というのをなんとなくつかんだ瞬間でした。それまでの舞台は必死にセリフと動きを覚えることばっかりで、役の気持ちを考えることまで至っていなかった。先輩が卒業して外に出て行ってしまうこともあって、あの時はセリフ以上の気持ちを込めることができたと思えたんです。でも、今思うと、あれはちょっと泣きすぎなんですけどね」

そして、ブロードウェイへ

先輩が卒業した後の演劇部は、少しずつ変わっていった。

演劇に没頭したい有村さんがいる一方で、演劇だけに時間を割きたくない部員もいる。

「3年になると就活も始まるし、部員間での演劇に対する温度差も出てきていた。私自身も大学入学前から考えていた海外留学の準備を始めるようになったんです」

そうして4年生のとき、カナダへ1年間のワーキングホリデーに出発した。現地では華やかに装飾された舞台を最前列で観劇し、アメリカに渡ってブロードウェイにも足を運んだ。勉強も演劇も充実した日々を過ごし、日本に戻った。

留学時代

「実は、高校卒業後は声優を目指すために専門学校へ行こうと思っていたんです。そしたら親が渋い顔をしたので大学に行くことにしました。大学に行っても部活じゃ演劇をまともにできないと思って、学外の劇団に入ろうとしたんです。でも、当時は距離も離れていて私が入れる劇団はなくて、じゃ演劇部に見学に行ってみようかって。そんな感じで公立大に行くようになったけど、大学ではいろんなジャンルが学べるから、知識があるほど面白いことって増えて演劇の糧にもなる。そのおかげで「今たのしい」って感じですね」

《続きは下記からご覧いただけます♪》

<なな会だより>近況報告リレー “有村香澄さん”【後編】

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