あの店はいま〜その2

懐かしい店を訪ねに行こう

熱々のチキン南蛮、すりごまがたっぷりのった豚天、そして茶碗いっぱいの大盛りご飯ー。
それは学生の頃、週に何度も通った思い出の味。
あの頃、私たちの胃袋を満たしてくれた場所は、今どうなっているのだろうか。私たちをいつも気さくな笑顔と心で迎えてくれた店のおじちゃんは、今どうしているのだろうか。
学生当時、何度も足を運んでいた店を再び訪ねる企画「あの店は今」。
第2弾は、焼き鳥と地鶏の名店”丸平”だ。

丸平で語る夜

居酒屋「丸平」に思い出を持つ卒業生も多いのではないだろうか。
東門から歩いて数十秒。宮崎公立大学の開学と同じ1993年にオープンした丸平は、当初から先生や学生たちの居場所となってきた。常連となっていた先生に連れられ、ここで“居酒屋デビュー”を果たした卒業生もいることだろう。
そんな丸平で5月のとある夜、3人の男たちが思い出を肴に酒を酌み交わしたのだった。

語る人

根井雅昭
居酒屋丸平の大将やってます!
川瀬隆千
公立大で教授やってます!
戸髙淳考
なな会で会長やってます!

開店日は皇太子が結婚した日

根井雅昭
オープンしたのは公立大ができた年の6月9日。 皇太子と雅子さまが結婚式をする日だからよっぽどいい日なんだろうって。僕とかみさんの相性の良い数字が8画だったから、3画と5画を並べて「丸平」。丸山町と江平だから丸平とか、丸い地球が平和になりますようだとか、後付けもあったりする。
戸髙淳考
諸説あるというね。僕がいたころは、丸平の隣 がクリーニング屋さんで、お店の2階で騒いでいると壁をドンドンとたたかれる。「朝が早いから早く寝かせろ」って。最初は気を使うんだけど、飲み出すとよく分からなくなって……。僕らが悪いんだけどね。
川瀬隆千
終わって、帰ろうとして、下の入口でガヤガヤやっていると上から怒られたりもしたね。三本締めとかできなかった。クリーニング屋もなくなったけど、この辺にいっぱいあった下宿屋もなくなったよね。
根井雅昭
飲み屋もいっぱいあったけど、すっかりなくなっちゃった。この通りは飲食店が発展しないってジンクスがあって。
戸髙淳考
最初に来た公立大関係の人って覚えてますか?
根井雅昭
近くの宿舎にいた先生たちですかね。脱サラしたばかりだったから、チラシとか何もしていなかった。素人だから、たくさん来ても困っちゃうし。それからはクチコミで少しずつ。最初はメニューも少なかったと思うんだよ。当時の写真なんかを見ると机に皿なんか数えるほどしかなかった。それから徐々に増えていったかな。
戸髙淳考
気取らない料理とお酒が、単身赴任でいらした先生たちの胃袋をぐっとつかんだのがこのお店だった。それが今では丸平でピザが食べられるなんて。
※ピザは店の隣で息子さんが経営する居酒屋「マルヘイノトナリ」から取り寄せています。

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記憶に残る元気な1期生


根井雅昭
開学したころは企業から来ている先生たちがいっぱいいた。研究ばっかりじゃなくて、飲むのも仕事ってところがあって、学生のみんなも連れてきていたね。昔は2階の窓に手すりがあったけど、ボロボロなのよ。1期生には、さびだらけの手すりの上を渡り歩いていた学生もいたね。
川瀬隆千
先輩がいなかったからしつけがなってなかったんだろうね。よい子は真似しない方が良い。ただ、そういうバカさに共感できるところがあってさ。先輩がいない1期生たちには大学生をさせてあげたいって思っていた。血気盛んな18歳だから大変だったんだけど、楽しかった。
戸髙淳考
怒られることもいっぱいあったけど、それでも僕らには「これ以上やったらダメだな」っていう肌感覚があった。何となく分かった雰囲気を持ったのは、先輩がいないからだと思う。先生も若かったし、垣根もそんなになかった。
根井雅昭
最初の1期生だから何か作らないといけないっていうのがあったんじゃないかな。今でも1期生は元気がいいって記憶があるな。
川瀬隆千
1期生しかいないときも学祭をやったもんね。200人で。
根井雅昭
高校の学園祭の延長みたいな感じだったよね。試行錯誤していろんなことやって、それを大学も応援しているようだった。
戸髙淳考
やらざるをえなかったんですよ(笑)

社会勉強の場だった丸平


戸髙淳考
僕らはここがベースなんですよね。よりどころ。個人的にも玉木ゼミがスタートなので外せない。
※玉木徹志先生(広告計画論)。開学から平成19年度まで在籍。
根井雅昭
玉木先生や川瀬先生のところは、毎年うちで飲んでくれるから。昔は先生に連れられて、学生もいっぱい来てくれていたね。でも、今では学内で飲めないし、先生と学生が一緒に飲むってのも少なくなったような気がする。
川瀬隆千
学内で飲めなくなったからといって、学生たちと学外で飲むかっていうとそんなことはない。
根井雅昭
昔は先生と一緒に飲むことは学生にとってコミュニ ケーションの勉強だった。目配りや気配りはどこに行っても必要で、それを勉強するのに実践的な場所だったかな。バイト生もこういうところに来ていろんな事を覚えるし、つながりもできる。
戸髙淳考
飲みの場は人とどう接していくかということが学べる場だった。お酒が悪いわけじゃないんですよね。今では先生や先輩と飲む機会が減ってしまったから、人との接し方もお酒との距離感もつかめないんじゃないか。
川瀬隆千
お酒はダメだからといって排除するのも違うんだよ。真水と海水が混じる汽水域のような場所が必要で、そこで徐々に慣れていくのも大事なんだよね。慣れないままいきなりお酒を飲むから問題も起きるような気もするな。 ところで、バイト生も1期生から数えたらいっぱいいるでしょ。1学年に10人ぐらい?
根井雅昭
そこまではいないかな。1人が1~3年は続くからね。20数年やってきたから、その倍の40~50人ぐらいじゃないかな。すぐ辞めた子もいたし、どんどん忘れていくね、年齢と共に記憶は。
川瀬隆千
美しい記憶だけが残っていくんですよ。

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