<なな会だより>近況報告リレー 16期生 水口夏希さん 前編

– 青年海外協力隊で苦しんだ2年 –
大きかった理想と現実のギャップ、でも「また行きたい」
16期生の水口夏希さん

 いつか海外で国際協力がしたいー。高校生のときから抱いていた思いを、社会人になってから叶えたのは16期生の水口夏希さん(32歳)。仕事を辞めてまで飛び込んだマラウイでの生活は、ギャップの連続。最貧困層と呼ばれる地域で過ごした2年間で、国際協力の理想と現実の差に悩み、そこから学びを得たという。その気づきを水口さんにレポートしてもらった。

 
(マラウイで活動した水口さん=右から4番目)

☆マラウイとは☆

マラウイはアフリカ大陸南東部に位置し、三方をタンザニア、モザンビーク、ザンビアに囲まれた内陸国です。国の面積は日本の本州の三分の二ほどで、人口は約1800万人。人口の8割近くが農村で暮らし、人々の主食はメイズ(とうもろこし)の粉でつくるシマとよばれる食べ物です。1964年の独立以来、国内紛争の経験はなく、平和的な人々の暮らすこの国は「Warm Heart of Africa」(アフリカの温かい心)と形容されています。

一人あたりの国民所得は 320 米ドルと極めて低く,後発開発途上国に分類されます。農業を基幹産業とし,国民の約 8 割が小規模農家として農業に従事。主にタバコや砂糖,ナッツ類等の一次産品が輸出総額の約 80%を占めるなど,農業が経済成長の原動力となっています。しかしながら,灌漑開発の遅れから天水農業を軸としているため天候の影響を受けやすく,特に近年は気候変動に起因する干ばつや洪水の頻発による水・食料不足が発生するなど,依然として経済基盤は脆弱。また,収益性の高い農作物の多様化や市場ニーズに合わせた作物の栽培が課題となっています。

(観光地となっているマラウイ湖)

■休学、そしてNGOへ

みなさんは「マラウイ」という国を知ってますか?アフリカ大陸の南部にある内陸国で、日本から飛行機を何度も乗り継いで片道24時間ほどかかります。そんな遠く離れた場所で、私は2018年1月から2020年1月までの2年間、JICAの青年海外協力隊の隊員として活動しました。まわりからは、不思議がられたり、「すごいね」って言ってもらえたりと反応はさまざまですが、私自身はとても充実した時間だったと思っています。そう、仕事を辞めてまで行くほどに。では、なぜ私が海外に行くことになったのか、経緯も含めて現地での様子を紹介したいと思います。

(マラウイの現地事務所の所長と)

 私は愛媛県の田舎で育ちましたが、小さな頃から海外に興味があったんです。マザーテレサの自伝を読んだり、国境なき医師団の活動を調べてみたり。海外で国際協力しようと、最初は看護師になりたいって思っていたんですが、高校生のときに方法は他にもあるんじゃないかって思い始めたんです。そんなときに出会ったのがJICAでした。高校の図書館にJICAの広報誌があって、青年海外協力隊のことを知りました。世界の貧困問題とかいろんなことが書いてあって、それで途上国で活動がしてみたいなと思うようになりました。

 英語が好きだったこともあって、国際協力や国際関係が学べる宮崎公立大学を選びました。大学でもいつかは国際協力の仕事がしたいという気持ちから、SOW(Society of World Citizens)というサークルに入り、宮崎で活動しているNPOやボランティア団体の活動にも参加してきました。

 大学での一番の転機は3年生のときでしたね。周りのみんなが就職活動を始めたんですけど、私は日本の企業で働くよりも海外に行ってみたくて。卒業後はNGOに就職したいというのもありました。でも、ゼミで深い研究してたわけでもないし、経験もない。そのまま就職するのもなんか違うな。思い切って、休学してNGOのインターンシップに行くことにしました。インターネットでインターンシップを募集しているNGOを探して、応募したらトントン拍子に決まって、半年間ケニアに行くことになったんです。ずっと願ってきた国際協力ができることが決まったので、すっごく楽しみでしたね。

(ケニアでの活動の様子)

ケニアでの主な事業は小学校の校舎建設です。現地は子供の数はすごく多いのに教室が足り ない。野外で授業をする青空教室の状態だったので、教室を作ったり、ボロボロになった教室を修理する。作業自体はケニア人がするので、インターン生の仕事は作業の報告を日本の本部に報告することなんです。

(教室づくりは現地の人たちの手で行う)

行ってから気づいたのは、英語がまともにしゃべれないこと。私は現地の言葉で話しているのを英語で通訳してもらって、それを聞き取って報告書にまとめるんですが、その英語をちゃんと理解しないと報告もできない。最初は大変でしたけど、ずっと行きたかった国際協力の現場だったので迷いも不安もありません。少しずつ慣れてきて、要領を覚えてからは緊張もしなくなりましたね。

 あっという間に半年間を終えてみて、いろいろ大変だったけどアフリカってめちゃくちゃ楽しいな、って気持ちになってました。次はもうちょっと長いスパンで行ってみたいなと思いましたね。

■退職してまで海外に行った理由とは 

(就職後も海外と交流する活動が続いた)

ケニアから帰ってきてからは大学に復学しました。4年生になり、就職活動を始めましたが、気持ちはやっぱり海外にある。実はこのときに、青年海外協力隊の試験を受けたんです。その時は2次試験まで進んだんですが、結果の通知がくるのが2月ぐらいという微妙な時期。受かればもう日本では就職せずに海外に行ける。でも、もし受からなかったら4月から就職しないといけない。ギリギリまで通知が来るのを待っていたんですが、結局はJICAに行くことはできなかったので、日本でちゃんと働こうって気持ちを切り替えました。それでも海外に行く気持ちは高いままで、「3年ぐらいしたらもう一回挑戦しよう」って決めていました。

 宮崎のテレビ局に「3年で辞めます!」って宣言して契約社員として働き始めたんですけど、この仕事が結構楽しくて。プライベートでも異業種交流や社会奉仕の活動にも関わり始めて、気がつけば4年、5年と過ぎてしまってました。周りからも「3年で辞めるんじゃなかったの?」って突っ込まれるようになって。

 「このままずっとここにいるんだろうなぁ」という気持ちがある一方で、「一回、環境を変えたい」っていう気持ちもあって。そうこう考えているうちに、自分が昔からやりたかったことをもう一度考えるようになっていました。一度ダメだっただけで終わるのも違う。仕事もプライベートもちょうど区切りがいいタイミングだったので、もう一度、青年海外協力隊を受験することを決めました。

(マラウイへの出発前に宮崎県知事を表敬訪問)

 2016年秋に受験したんですが、私が受けた「コミュニティ開発」分野はとても倍率が高いんです。看護師や薬剤師の分野は定員割れする一方で、コミュニティ開発は実務経験がなくても応募可能なので受験者がみんな集まってくる。面接を受けていても手応えというほどのものはなかったんです。

 結果が届くのが、翌年2017年2月。大学の受験みたいに自分の受験番号がネットに掲載されます。日中だったので、私が番号を確認したのは会社のトイレ。便器に座って、スマホの画面をスクロールしていき、自分の番号があったときには「マジか、マジか、マジか」って何度も言ってしまいました。それぐらい受からないと思っていたので。

 どの国に派遣されるかは、その後に届く書類でしか分かりません。届いた書類を見ると「マラウイ」って書いてあってびっくり。ほとんど希望は通らないのに、第2希望で出していた国に行くことができました。大学のときに参加したNGOがケニアでの活動を終えて、拠点をマラウイにシフトしていたので、タイミング的にすごくいいところに当たったなって思いました。

 2017年10月から国内での研修が始まり、同じ時期に派遣されるメンバーが福島県と長野県の二箇所に分かれて70日程度の合宿をします。私は福島での合宿でしたが、全員で100人ぐらいの共同生活でした。訓練が進み、出発の日が近づくほどに楽しみが増していって。合宿と終えた後に宮崎に戻ると、友人たちが壮行会をしてくれました。ものすごく嬉しかったんですけど、逆にそれが「何があってもやりきらないといけない」って変なプレッシャーに。それでも心の中は楽しみでいっぱいで、不安な気落ちはほんのちょっと。ずっと行きたかった海外の仕事が楽しみでした。

続きは後編でお伝えします!

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