「ちょうどいい」を探してートップクラスのリゾート運営会社を辞めて開いた朝食専門店ー
広島県尾道市で朝食専門のお店「きっちゃ初(うい)」を開くのは、2013年卒の土井美樹さん。
卒業後は高級旅館やゲストハウスで宿泊業を経験した土井さんの夢は「いつか民宿を開く」こと。この民宿で出す料理をイメージした朝食専門店が土井さんの現在地だ。
「急激に発展しようという気持ちはない。ちょっとずつ、ちょっとずつ進んでいる今の状況が自分にはちょうどいい」
と話します。
夢に向かって一歩ずつ進む土井さんのこれまでとこれからを3回に分けて紹介します。

古アパートの一室で朝食を
瀬戸内の島々が織りなす風景が人気の観光エリア「しまなみ海道」。その起点となる広島県尾道市の玄関口とも言えるJR尾道駅の北側に、きっちゃ初はある。
住宅地の中を迷路のように張り巡らされた路地を進むと突然現れる1955年築の「三軒屋アパートメント」。このアパートの東102号室が「きっちゃ初」だ。
三軒屋アパートメントは、10年ほど前に空き家となってしまったアパートを市民有志が再生・管理してテナントスペースとして活用。今ではマッサージ店やレコード店、古着屋、卓球場など多様なお店が入り、観光地・尾道をにぎやかにしている。
その中でも午前7時30分にオープンする朝食専門のきっちゃ初は、まさに尾道の一日の始まりを告げる存在ともいえる。

手書きのメニュー表
「尾道は観光地なのでホテルも多いんです。ホテルの朝食っていうとトーストなんかの洋食系をイメージするんですが、私には作れない気がしたんです。だったら、私自身が食べて美味しかったもの、そして家では作るのがちょっと面倒なものにしようと思いました」
メニューは看板料理「揚げがんも」定食と、季節で入れ替わる定食(取材時の6月は鶏飯)の2種類のみ。テーブルに座って待つ間、カウンターの向こう側からは揚げ物を揚げる音と香り、炊飯器を開けたときの湯気が漂ってくる。もともとはアパートの一室だったこともあり、店内は家にいるかのような雰囲気だ。
食後に出てくるのは「お茶」だ。高級旅館時代の勤務地が静岡だったため、お茶に詳しくなった。今でも信頼を寄せる静岡のお茶屋さんから仕入れて提供している。朝食専門とはしているが、食事が品切れした後は午後4時の閉店までお茶やデザートを提供している。
「喫茶っていうとコーヒーのイメージが先行してしまうじゃないですか。私はお茶をメインにしたかったんです。だから喫茶ではく『きっちゃ』なんです」
その居心地の良さに誘われるのか、客層も観光客だけでなく、地元の人や電車に乗って隣町からやってくる人などさまざま。1歳ぐらいの子供を連れた家族から70、80代の高齢者まで幅広い。店内は4人席のテーブルと2人席のソファ、2人席のカウンターしかないため、相席になることもしばしば。そこから生まれるコミュニケーションもきっちゃ初の魅力の一つとなっている。

家にいるかのような雰囲気が漂うカウンターとテーブル
「普段関わらないような人とも喋って、お互いを理解するきっかけになったらいいなと思うんです。年齢やタイプが違うとぜんぜん違うこと考えているように見えても、意外と共通点もあったりして、それで話が盛り上がったりするんですよね」
ゲストハウスを辞め、未経験の飲食へ
土井さんが人とのコミュニケーションを大切にするのは、ゲストハウス時代から続いている。2019年8月にオープンした「きっちゃ初」でも、料理を提供するだけでなく、お客との会話も重要視。初対面のお客同士でも土井さんが間に入って会話をつないでいく。

土井さんとのコミュニケーションもきっちゃ初の魅力
「ゲストハウスもコミュニケーションをすごく取れる場所ですけど、それだとコミュニケーションを取りたい人しか来なくなるので、偏りが生まれるような気がするんです。でも、そこに『ご飯』があれば、ご飯を目的にいろんな人が来るなと思って。いずれは民宿を開きたいという夢があるので、そこで出したいな思っていた朝ごはんのお店にしたんです」
とはいえ、飲食店の経験はゼロ。ゲストハウス時代に料理の楽しさを覚えたが、まかない料理程度に作るぐらい。料理も接客もやらないといけないため、最初は苦労したという。

料理の仕込みは前日から始まる
「自分自身に自信がないところからのスタートだったので、みんなの反応がすごく気になるんですよね。みんなの反応を見ながら『うん、この料理はもう大丈夫!』ってちょっとずつ自信をつけていく感じですかね。この三軒屋アパートメント自体がチャレンジショップ的な感じだから、完璧じゃなくてもいいんじゃないかなと思うんです。だからこそ始められたっていうのはある」
そうして生まれたのが
看板料理の揚げがんもだ。
ゲストハウスで働いていたときに作った際、想像以上に反応が良かった記憶から、きっちゃ初でも提供してみると好評。サクサクとした衣とふかふかほくほくの中身のアクセントが楽しい。
「尾道の名物ってわけでも、得意料理ってわけでもないんです。揚がんもって揚げ物だし家で作ることも少ないと思うんですよね。地味だし主役になることも少ないけど、みんな『意外とうまい』っていう反応をするんです。それを見て定番化することを決めました」

看板メニューの揚がんも。サクサク衣が魅力的
当初は10食程度を作るのが限界だったというが、今では25食ほど作れるまでになった。接客もゆとりを持ってできるようになってきたという。
「私、ご飯作っているんです」って言えなくて
一見すると自分の夢に向かってアクティブに進んでいる印象を受けるが、土井さんの中では自分を認められない時期があったという。
その理由は、佐賀県の実家にいる母親と姉2人の存在だという。
「母も姉2人も看護師なんですよ。看護師ってすごくわかりやすく人の役に立っているじゃないですか。私はその道には進まなかったから、人の役に立っていることを羨ましく思う気持ちがあるんです。だからこのお店を始めた当初は自分に自信がなかったから、『私、ご飯作っているんです』って言えなかったんですよね」

L字型に建物が連なる三軒屋アパートメント。きっちゃ初は写真左下の一室
その気持を変えるきっかけが、音楽ライブでの出来事だった。友人に誘われて何気なく足を運んだライブだったが、ステージに立つアーティストは歌を歌うことで観客に栄養を届けている様子を感じられた。
すると、自分を認める自信がなかった気持ちも、
「ちゃんと自分の言いたい気持ちを伝えられるご飯を作ろう」
と思えるようになったという。
「そこからはお客さんの反応も違ってきたように感じたんです。ちゃんと頑張ったらちゃんとおいしかったって届く、というのはやる気になった。世の中ってみんな忙しそうじゃないですか。だからここでは、ちょっと一息ついてほしいなとか、そんなに頑張りすぎなくても大丈夫だとか、口に出さなくても何かが伝えられたらいいと思っている。お客さんがのんびにご飯を食べてじゃあねって帰っていくのを見ると、少しでも『その日ののんびり』に貢献できてよかったなって思えるんです」
今では高級旅館やゲストハウス時代には感じられなかった感覚があるという。
「今の自分にできるベストを出しているけど、まだ完璧には遠い。一気にも進めないから、ちょっとずつしか進めないなと思っている。今では私はこういうことをしながらおばあちゃんになるんだなって思うし、おばあちゃんになるまでに完璧になっていればいい。このお店は、とりあえずやってみようとの気持ちで始めたけど、私にとってのちょうどいい頑張り方が見えてきた感じです。頑張りすぎるとすぐに体を壊したりするから」

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オープンからまもなく3年。今でこそすっかり尾道に馴染んでいる土井さんだが、どうして土井さんが尾道に来たのか。その理由は中編で。